30代前半に岩登りを始めました。始めるには明らかに遅い年齢です。でも、晴れた日の夏から秋にかけての岩登りは最高で、急峻な岸壁のしっとりとした雰囲気や、岩に取り付いて初めて眺められる高度感ある景色など、普通では絶対に味わえない種類の爽快感が凄く気に入ってしまいました。
乾いた岩を掴む時の怖れと上がることへの期待感、特に固い「触って安心できる岩」など、信頼できる上司や先輩に出会ったような趣きがありましたね。こうして毎週、訓練場所での練習に励むことになりました。
夏には居住地周辺の川の沢登りも出かけました。少しずつザイルワークにも慣れ、カラビナ操作もスムーズにできるようになりました。
谷川岳一の倉沢は、全世界でも最も登攀事故の多い場所です。ネパールなどの8000m峰での事故総数が600程度。でも、この場所では800を越える死者があります。ということで、まずは入山場所に建てられた遭難碑でお参りをし、安全を祈願して沢に入りました。
生憎、今回は事前に積雪があり、コンディションは良くありません。でも、福島から夜に5時間以上かけて車を飛ばしてきていることもあり、
「どこまで行けるか分からないけど、行けるところまで行こう」と出発しました。
一般道を少し登った後、一旦、本沢に崖を下らねばなりません。この場所から既に、一般の人ならビビッてしまうような角度です。対岸には小リッジが見える。難なく沢を渡り、そのリッジに取り付きました。
この辺りから南稜の取り付き点まではテールリッジと呼ばれて、ずっと小尾根を行くのですが、普通のお天気でだいたい2級と言うところ。ザイルは使用しませんが、このテールでも結構事故があって、気の抜ける場所ではありません。
今日はコンディションは最悪。お日様は出ているのですが、岩には雪がうっすら掛かり、大きな岩の板は薄氷に覆われて、末端から雫が落ちています。手に付けているのは、舐めたことに軍手、しかも足は普通のズックです。若気の至り、そのものでした。
岩を上がる時の、先頭を行く国体選手の慎重なこと! そうでなければいけませんよね。それにくっついて二番手は私。実際、二番手以降は楽なんです。登れることが分かって進むのですから・・・。
次第に高度が上がると、遂に岩は雪で真っ白になり、どこに足を置いて良いのか分かりません。滑れば左側の本沢に滑落。緩い岩に乗り上げるのも厳禁・・・。で、この辺りから先頭を交代して先を歩きました。無論慎重に足を下すのですが、本当に不思議なことに、まるで「足の下に目がある」みたいに、雪に足を下すと安全かどうかが分かるのです。滑るなんて、絶対ありえない気がする。
「人間の能力って凄いものがあるな・・・」それが正直な感想でした。
南稜の最初のピッチはリッジで、最近のネット記事では4級と書いてあるのも見受けますが、まあ、3級と言うところ。何なく登ります。次のピッチはチムニーです。ここは力勝負!
ですが、私はこれが苦手です。フェースは得意! で、国体選手がトライするのですが、どうも駄目。で、交代して上がってみたのですが、チムニー最後の1ステップを越すために右手を上の岩に掛けるのですが、これが雪に覆われて掴めない! 暫く遣っているうちに、手が冷えて指も動かなくなった・・・。他の人もトライしてみるも、やはり同じでした。
雪で登れない、というのはこういうことなんだな、と、実感しました。
「11月でこうなんだから、冬の登攀は如何に厳しいものか・・・。今回は冬装備ではなく、普通の登攀準備しかしてこなかった・・・」
ということで、今回は2ピッチ目で敗退して帰りました。
このことを書くと、多くの人から批判を浴びそうで、今までに何かに発表したことはないのですが、準備はきちんとしなければ駄目だ! ということを敢えて言いたくて書いておくことにしました。雪のテールリッジをフリーでスイスイ上がれても、自慢にはなりません。
(こう書くのは、田部井順子さんなどは、こうした岩場で空中にテントを張って夜を過ごしたりする。それがヒマラヤの山に登るための訓練になるからで、そういうレベルにならないと、難しい山は無理なんです)
ちなみにこの日、中央稜をソロで登った若者がありました。南稜から見ていても快適なくらいに、お猿さんみたいに登って行った。(中央稜は雪が付きにくい場所で、こういう日でも登れないことはありません)
その後、私たちが下っている最中に、彼は驚いたことに、パラグラーダーでパッと空中に出て、谷を悠然と舞って下りて行きました。
その時の写真が次月号の「山渓」の表紙を飾りましたが、その写真の雪の多い谷の様子を見て、所属する会の会長さんは、
「かなり悪いコンディションだね・・・」と一言。僕らも再度、反省致しました・・・。
ともかく、事故が無くて良かったです。
マッターホルンに登れたので、次はアイガー東山稜、モンブランと計画しました。その訓練に、南稜に再トライです。日頃の精進を認められて、先輩と二人での入山を許可されました。
今回は手袋も冬用を用意し、足はロッククライミング用のソールです。訓練のためには登山靴で登るのが筋ですが、快適なクライミング! というのを遣って見たかった。
一の倉沢入り口に夜11時過ぎに到着したのですが、寝ているテントの外はずっと風が吹いておりました。天候はどん曇り、今回もあまり良くありません。通常ルートで谷川のトマの耳に向かうメンバーと別れ、登攀組は二人で出発しました。
すでに一回は来ている場所だし、マッターホルンなどにも登っているのでずっとスイスイです。前回越えられなかったチムニーも無事に抜け、大きなリッジも楽しく上がります。ここは私は3級程度と思うのだけれど、人によっては4級にしていますね。上に行くと高度感が上がり、マッターホルンに登った時とそっくりの感じの景色が見られるようになります。
このルートは終始明るいルートでお勧めですが、最後の1ピッチのみ、(Ⅳー)があります。Ⅳはピトンを掴む人工登攀の部分に入る記号です。パートナーがトップで挑み、少し時間を掛けてピトンを掴まずにあがりました(拍手!)が、私は時間を気にしてピトンをそっと摘まんでホイと上がってしまいました。
というのも、先ほどから雲が厚く垂れ込めて来て、どうにも怪しい雰囲気だった・・・。
下りは懸垂下降の連続です。北稜に回って降りるのが普通かと思いますが、続く登山者を見受けなかったことと、プロガイド先導の二人のお客さんのパーティが私たちの後で遣ってきて、南稜を下るようだったので、そのまま来た場所を下ることにしたのです。
そのプロガイドさん、下る際に確保用のピトンを点検し、残置してあったシュリンゲを丁寧に交換して行きます。
「さすがだなあ、こういう方の尽力によって安全が確保されているのだなあ・・・」と感心しました。最終のピッチでザイルを岩に絡ませる失態をしてしまった際も、実は彼が助けてくれたんです・・・。(この部分だけ、自力登山の成功に入りません)
その後、私らは車で無事に福島に帰ったのですが、次の日以降、大騒ぎになりました。
別のルートから入ったチームが北稜上でビバーク、死者も出る事故がありました。
問題は積雪です。私たちが下って車を運転して帰る頃から、突然の物凄い降雪が始まり、それが長いこと続いて、一の倉沢は超危険な場所に変わってしまいました。有名な明治大学のパーティも稜線で孤立するという大変な事態でした。
山は危険と紙一重です。ですが、今回もどういうか無事に難関を抜けてきてしまいました。
一の倉沢を登る前に、本山は一般登山しています。その時は会の女性メンバーも一緒でした。谷川岳は双耳峰で素晴らしい景色の山で、特に秋が良いと思います。東京からちょっと遠いのが難点ですが、ケーブルなども設置されていてお勧めの山です。
実はこのとき、岩稜登攀をガイド登山してきた長谷川恒夫さんに行き会いました。彼は凄くハンサムで格好良かった。わが会の女性メンバーはもう「キャアキャア状態」でした。
彼はその後、ヒマラヤで雪崩に遭い、他界されています。本当に本当に残念です。