日本と相互運用協定を結んでいる国で、ライセンス取得ができそうな場所としてペルーを選び、2か月ほど前に申請を行ったのですが、残念ながら旅行当日までにはライセンスが下りず、運用は叶いませんでした。当日は、リマ市内にある「Radio Club Peruano OA4O]を訪問して、連盟の会長さんであるオスカーさんと歓談、お昼をご一緒して、ペルーの無線事情をお伺いしました。
今回はペルーの無線事情と観光のお話/記録です。
[免許申請について]
JARLのHPには「通常60日くらいかかる」との情報が載っていたので、それに間に合うように準備を開始しました。まずは、ペルーの無線連盟の会長さんにメールを送って方法を尋ね、それに従って準備をして行ったのですが、
1)本人自筆サインの申請書が必要
2)公証書としてもらうための本人自筆サインの申請書が必要
3)写真を3枚送らないといけない
とのことで、そこで時間が厳しくなってしまいました。(書類には、いつからいつまでの運用と書くので、一旦提出すると変更ができません=この時点で、もっと先に予定を変更すべきだったと思います)
また、書類は日本から一番早いと思われる「EMS」便で送ったのですが、これに9日程度掛かってしまいました。結局、連盟に書類が届いたのは希望日46日前ほどで、時間不足になってしまったようです。
会長さんであられるオスカーさんには何度もメールで対応していただけ、大変親切にしていただいたのですが、ペルーは何事にも非常に時間が掛かるのだそうで、今回もその一つの案件、ということのようでした。46日あれば大丈夫かな?という淡い期待もあったのですが、ちょっと難しかったですね、残念でした。
(写真は、オスカーさんにいただいたQSLカード)
[Radio Club Puruano を訪問]
クラブはリマ市の中心部にあって、銀行や省庁の建物が立ち並ぶ地域の公園付近にあります。
オスカーさんのお話では、1960年ころは周囲は農園で広い大地が広がり、クラブとしても3千平方メートルもの土地があったそうです。そのため、今はビル街になってしまった周囲と比べ、低層で面積のある建物がここに残り、下の写真にあるような大きなアンテナ/タワーも建てられています。また、クラブの所有地内にレストランも出されるようになって、経済的にも安定したそうです。
(そのレストランでお食事しました。大変繁盛しておりました)
メインのリグはICOMのIC-756PRO3でした。それにアメリカのAC-OMだったかのリニアアンプ。アンテナはハイバンドが3エレで、7MHZの2エレも建っていました。
オペレートはできなかったのですが、座ると写真のような感じです。少しでもオペレートできると良かったのですが、惜しかったなあ・・・。
[ペルーの無線事情]
ペルーでのアマチュア局は、300局ほどだそうです。9割以上がリマ市内在で、クスコなどの周辺都市では誰もいない、とのことでした。ライセンスは3クラスあって、最初にノビス級を受け、これに合格して75QSO以上の交信を行うと、1年後に上級のライセンスになるとのこと。ちょうど私が訪問をした日も、夕方から試験があるとのことでした。
それにしても、これだけ大きな国で、わずか300局というのには驚きました。
(オスカーさんにクラブのエンブレムを貰いました)
[観光編]
リマで泊まったホテルの部屋の前の廊下に、インカのお面が飾られていました。
[マチュピチュへ移動]
リマで一泊後、早朝の飛行機でクスコへ、更に車2時間+鉄道(ディーゼルカー)1時間40分でマチュピチュの村に移動しました。写真は左側から、
・クスコからオリャンタンタンボへ向かう道の途中の町と山の様子(車の中から)
・オリャンタンタンボの町の手前の町を走るトゥクトゥクライクの車
・オリャンタンタンボ駅
駅からは、写真の右側に見える車両に乗りました。
鉄道は峡谷を行き、車窓右手には大きな川が見えますが、左手は急峻な崖。川の向こうも無論、急峻な山です。ときどき岩を刳り貫いただけのトンネルもあって、落石があったら怖いなあという感じでした。
[マチュピチュ村]
到着前に車掌さんから「マチュピチュ駅から遺跡まで向かうバスがストライキで走っていない」旨の説明がありました。マチュピチュ駅に出迎えてくれた旅行会社の日本人スタッフの方と相談して、仕方がないので歩いて登ることに決め、たまたま私と同日程でペルー観光に来ている神奈川の若い人と一緒に登山ガイドに案内してもらい、ハイキングルートを行くことになりました。ちなみに、バスなら遺跡まで30分ですが、歩くと7km=2時間ほどです。以下に集合写真を入れます。左から、
マチュピチュ村中央部(左手が駅)/逆から見た村(中央を川が流れています)/駅前のお土産屋さん
/歩き始めに見えた山の絶壁/歩行ルート案内図/登山の様子(下の水色の服が登山ガイドさん)
/翌朝のマチュピチュ村(周囲は絶壁の岩山です)/村の中央広場
[マチュピチュの遺跡=初日]
写真等でも有名な世界遺産「天空の・・・」です。兎に角、広くて大きい。今回は1時間半ほど歩いて登ったので感激も一入です。正直なところ、「大きいし高度感が凄いし、この素晴らしさは写真では全然わからんなあ・・・」という感じでした。遺跡からは、遙か下方を流れる川や歩き始めの場所にあった橋や、川に沿って走る鉄道なども見えるのですが、そこまでの高度感が凄く、いやはや何とも、よくもまあこんな場所にインカの人々は、要塞のような城のようなこういう建物を作って暮らしたものだなあ、と感心せざるを得ませんでした。遺跡到着時に15分ほど雨が降り、村の方向の絶壁の山に虹が掛かりました。
遺跡は入場者に対する人数制限があり、時間制限(遺跡のみの場合、4時間)もあります。また、今のところのルールでは、初回はガイド同伴でないと入れません。写真を一応載せてみますが、一緒に行った方のiフォンによるパノラマ写真が素晴らしく、写真を送ってもらえたら載せたいと思います。左から、
最初に上がった場所で/リャマが居た!/出発した川の辺り/遺跡全景
虹が見えたのは、東側の山の上です。また、ワイナピチュは山頂付近に石垣が見えています。登山路は、正面左手の木のある辺りに作られています。リャマ君が遺跡内を闊歩!
「マチュピチュの遺跡=二日目]
幸い、バスが動いたので、朝の5時半に並んで出発、6時過ぎには遺跡に到着しました。すでに50人乗りのバスが7台くらいは先行していたので、遺跡の前は大きな列です。今日は遺跡の向こうに見えているワイナピチュに登る計画でした。(バスは片道12ドル)
ワイナピチュは時間帯としては2回、許可があり、200名づつです。7-8時入場と10-11時入場です。7時の回で登り始めましたが、先行者の速度や頂上での込み合いなどもあって、やはり登り1時間、下り1時間という管理側の標準スケジュールは妥当に思いました。見た目は急峻でどこを登るのだろう?という感じですが、しっかりした石段が付けられ、問題なく登れます。(八ヶ岳の赤岳や横岳よりは簡単です)
今日は朝から天気が良く、周囲の山々も良く見えました。都合6時間みっちり居て(ワイナピチュに登る場合は制限は6時間)、12時前に遺跡を後にしました。写真は左から、
混雑するゲート前/遺跡を囲む数々の槍ヶ岳/ワイナピチュに向かう/西側に見えた山々/その白い頂
登高路/山頂付近/山頂からの遺跡(左手にバス道路が見えています)
この日は、ワイナピチュ登山中に3人の二本の若者に会いました。一人は学生さんで、休学して世界一周を目指している人。もう一人も学生さんで、今回が初めての海外旅行でスペイン語は全くダメ、しかもこの後、ボリビアに行くとか! もう一人は30代後半の方で、会社を辞めて世界中の有名な岩場をボルダリングしているそうです。
うーーーん。若いって凄いですね。心底、感心してしまいました。逞しいなあ!
ワイナピチュ後、休学中の学生さんを除いた4人で遺跡内を歩いたのですが、新語が出来ました。
スペイン語で「ありがとう」はMuchas Grascias なのですが、「メッチャ グラシアス!」
「クスコ=三日目]
二日目は山から下りて村の中央広場で昼食後、鉄道+車でクスコに移動しました。クスコは標高が3400mということで肌寒く感じ、また、空気が薄いです。街自体が世界遺産ですが、インカ帝国の建物の上に、インカを征服したスペインの建物が建っています。(この話を聞くと、滅ぼらざるを得なかった文明を思い、いつも涙が出ます)
11時にホテルをチェックアウトして、コリカンチャの博物館⇒町の散策⇒お土産の買い物⇒昼食⇒カテドラル見学、と街を5時間弱歩いて、午後4時前に空港に向かいました。写真は左から、
コリカンチャから見たクスコの町/コリカンチャの建物/カテドラル/12面石のある通りの石垣
土産物屋のモール/織物/昼飯で食べたセビーチャ/ビール(写真は帰りのリマ空港で撮ったもの)
[マチュピチュでの注意]
事前にインターネットで調べたところ、「ブヨのような虫がいるので虫刺されに注意」とあり、手には虫よけのスプレーをして行ったのですが、結果的には左足の脛を刺されました。
その時は「ズボンの周りをグジュグジュ回っているな」くらいに思っただけですが、翌日、刺された跡が、針にでも刺されたように芯が黒くなって、周りが赤くなりました。遺跡の中と、ワイナピチュ山頂でです。厚めのズボンを穿いていたのですが、その上から刺されました。ワイナピチュのは羽蟻ですね。結構大きかった・・・。(山頂に長居をし過ぎました)