2021年3月、川崎から、信州の両親の家のある町に転入手続きをしました。その際に役場の係の人から、「区民として登録を申請するか、しないか」と聞かれました。
町で、都会の人に別荘を誘致している関係もあり、田舎の付き合いを嫌うタイプの方も沢山この町に遣ってきます。でも、私は高校生までこの町に住んでいたわけで、その時は当たり前のこととして、「区民扱いでお願いします」と答えました。
一旦、住民票は受理されてこの町の住人になったのですが、ここでようやく区長さんが来られ、「重要告知事項」を提示して加入するかどうかの打診を受けました。
区長さんは小学校の後輩なので、堅苦しい感じの訪問ではありません。区民として住む場合は、おおよそ以下のようになる、という説明をして帰っただけです。
1)区費が発生する。
2)区役が発生する。
3)総会出席や雪掻き作業、出払いなどが発生し、出られない場合は出不足料が必要。
4)自主防災組織に編入される
5)区費として、年21,000円。他に貯金や消防費、建設資金積み立てで、20,800円。
お寺さんへの冥加金8,250円が徴収される。
区費や区役等はどこの自治体に属しても発生することで、1)~4)はおかしくはないと思います。(でも、川崎と比べると8倍ほどの出費です。高い!)
が、自動的にお寺さんの傘下に入ってしまうルールは少し変で、或る意味、憲法違反にもなりえるのではないか、何か江戸時代の檀家・組システムに戻ったような感覚を抱きました。
ここ一年で二回、お葬式を出して、お寺さんには世話になりましたし、親父さんが寺の総代なども務めた関係で、お寺さんから求められた葬儀後のお布施は数十万円、また、四十九日の法要でも30万円ほどが必要でした。
両親が望んで宗派に入っているのだし、お金も両親の懐から出るわけです。お金の支払いに何も文句はありませんが、残る私が、自分とは関係のない宗教行事をこなして行かねばならないのは、どこか抵抗を感じるものがありました。
歳を取ると歩くのも困難になるし、現実の旅に出掛けて行くことも叶わなくなる。高価がうたい文句の美味いものを食べるのにも限界があるし、残された楽しみは、
【死んだら高い位の戒名を貰って、極楽に行く】というのは分からないではないですが、どうも私の生き方方針とは合いません。
私は「地球人でありたい」人間で、スタンスはなるべく自然に即して生きる立場であり、地球が活動フィールドであり庭であり、生きる空間であり、死んで眠るべき空間です。できれば、どこか一つの国に属するのではなくて、世界中のすべての国の国民でありたい。
宗教はそれを貴ぶ人がいるのは分かりますが、一つの宗教に属することは、他を否定することと同義な訳ですし、地球人たる立場を選ぶと、「何かの宗教に固定されること自体が理屈に合わない」気がするのです。
また、科学者の端くれの立場とすれば、「宗教は人間が発明した社会安定のための便法の一つであって、人工システムの或る造られた一つでしかなく、大自然を母体とする科学の視点から見ると、或る意味の偽りの仮システム」にも見えるのです。
お葬式の儀式も、方丈さんの取り仕切りで自動的に進んで行き、お経を参加者全員で読むのが当たり前・・・。要は参加する人は、「場の指揮者たる方丈さんを指導者にした宗教集団の一員に、自動的にならねばならない」という前提が存在するようにも思われます。
固いことは言わずに、場に合わせて周囲と同じ行動をとり、何事もなく参加はしていますが、個人の信条からすれば、自らの信条に対する違反行為でもありますよね?
仏教徒の親の子が他教徒、例えばキリスト教徒のような場合は、どのようにこういう儀式に参加するのですか、と、お坊さんにも聞いてみたりしましたが、「最後はお墓を誰がみるか、ということですかね?」との回答になりました。
宗教を持つということは、たったそれだけのことでも厄介に思われます。
人間も自然界の生物の一員で、「土から生まれて土に還る」。ということは「地球に生まれて地球に還る」と同義だし、「銀河に生まれて銀河に還る」、「常にこの宇宙の一員である」、というのも同義ではありませんか?
人体の構成物質の99%は2週間で入れ替わります。なので、生きている間も私たちは銀河の一員で宇宙の一部。
生まれる前もそうだし、生きている間もそうだし、死んでもそう。何か死後というのに、問題ってありますかね? どこか変な所に行きますかね?
「時には先祖を思い出す」方法として、お墓が良い標なのは分かりますけれども、人類80億が大きなお墓を作って行ったら、あっという間に地球は墓だらけ!
自然界の動物は、墓は作りません。それが自然の最も自然たるポジションで、最も科学的な正解手段だとは思えませんか?
その昔、ユースホステルという宿泊システムがあり、その方針は、「使用器具を、泊まる前より綺麗にして去る」というものです。これに異議のある人は無いと思います。
であるなら、人間も自分の足跡を綺麗に消して、この世から立ち去るのがベターのように思いますけれど・・・。
権力者というのは立派な墓を作りたがります。死んだ後もマウンティングを遣っている・・・。私の一番嫌いなパターンです。辞めて欲しいな。
私の場合は、死に場所を選んで一人去って行く賢い猫ちゃんのように、南太平洋に消えてお魚さんの餌になるのが望み。墓は無論、不要です。
お金の額で順位が決まるようなルール自体が嫌いだし、戒名という仕組み自体がマウンティングの一形式で、お金儲けシステムの一環。私の嫌うところです。
でも、親父さんたちはそういう道が望みだったから、息子の私としてはその望みを叶えてあげない訳には行かんのです。
でも、墓を永遠に守る役はしませんので、悪しからず・・・。私だってあと10年もすれば、地球に、土に、戻ってしまいます。