マッターホルン登山記 (2020年9月記)

 

 先日、マッターホルンに登ったときにとてもお世話になった方が亡くなられ、その訃報が届きました。しばらくご病気だったそうですが、実力のある心根の優しい方で、本当に残念です。

 彼を思いつつ、感謝の気持ちを込め、今回、記録を残しておこうかと思いました。

 

 写真の山がマッターホルンです。山から離れた方が私、茶色のザックを担いでいます。一緒に写っているのは、若手だった国体選手です。お世話になった方は、写真の人ではありません。私より5歳年上でした。

 山は各所登りました。東北/福島に住んでいた20代後半から35歳までが一番力のあった頃で、結構難しい所にもトライしました。日本の一般ルートで言えば、北アルプスの北穂~槍、5月の奥穂、涸沢岳・・・、岩稜登攀では一の倉沢・・・。

 そうした中で、唯一不安を感じたのが、今回のマッターホルン登山です。34歳のときになりますかね?

 人間、高所に登ると、胸に怖さを感じるのが普通です。が、少し慣れるとなんとかなるもの。高所恐怖症の方も訓練で何とかなるかと、私は思いますが、一番恐ろしいのは30mくらいの高さのときだそうです。それ以上高いと、逆に怖さがなくなる。

 一の倉の南稜は明るさのある快適な尾根で、高度感は素晴らしいですが、登っていた時に不安は抱きませんでした。穂高に行った時のこと、友人二人が北穂の岩場(滝谷)をトライしている間に、私ら一般人+アルファ組は尾根筋を槍に向かいましたが、落石してはいけない、ということで緊張はしましたが、怖さはなかった。槍も簡単に感じたし、中央アルプス/宝剣でも、普通の感じで登っています。でも、マッターホルンは私には本当に大きな山で、ヒュッテに戻ったとき、これほど安堵した登山は、他にはありませんでした。

 マッターホルンはスイスとイタリアの国境にある4,478mの山ですが、通常登るルートはスイス側の東山稜です。彼の有名なウインパーによる初登攀も、この山稜から行われています。

(詳細は彼の「アルプス登攀記」に詳しいです。事故についても詳しく書かれています。このコースは登高差=1200mほどです)

 

 夏、9名のメンバーで3つのチームを組んで出発しましたが、登ろうと思った日の前の日に雪が降って、下から見える東壁(素晴らしい岸壁!)には雪が付き、翌日の登頂は微妙な様子でした。それでも、ヘルンリ小屋に入った時は、何とか行けそうに思われました。

 夕方までにそこから1時間ほどの行程を下見してから就寝、朝は2時起きです。早く起きた方かと思ったのですが、準備を終えて小屋前の庭に出たときには、既に出発した組が沢山あり、庭から直ぐの壁の上部に沢山の明かりが見えていました。(無論、多くは外国組です)

 

 

 暗闇を這いつつ最初の垂壁を越え、トラバース気味にソルベイ小屋を目指します。今回は基本、登る時にはザイルは使わない方針です。(そのくらいの実力がなければ、登山は無理)

 第一番目の急所はソルベイ下のクーロワール。ここで、第三班がかなり遅れておりました。原因は、メンバーの一人が高山病で吐いたりしていたこと、その組のリーダーが出発前の追突事故で首を痛め、調子が出なかったことです(もらい事故です)。そこまでザイルを使うこともなく進んできたのですが、どうにも上がれないというので、2班のメンバーだった私がザイルで確保などをして、かなり時間を費やしてしまいました。

 ソルベイ手前の一か所は(ほんの一歩が微妙なんです)、第一班の、今回話題のHさんがザイルで確保してくれ、無事に9名が小屋に辿り着きました。ちなみにソルベイは緊急用の避難小屋で、ここを宿泊所として計画してはいけません。

 お天気はまずまずですが、ここですでに9時を過ぎ、時間的にはもう微妙な時間・・・。既に頂上に上がって戻ってきた組があり、それが何と、彼の有名な登山家・山田昇さんだった・・・。

「この時間でここでは、登頂は結構難しいですよ・・・」

 でも、我らがリーダーは逆に可能性もあるとみて、具合が悪いメンバー以外でトライ、先を急ぐこととなりました。

 

 右の肩に当たる岩稜部分では、ザイルでの登高者があちこち見られます。登るものと下ってくるものが交錯したりもする。その間を縫って、フリーで進みました。この辺りからアイゼンを付けての登高です。その上部の雪田からは、ピッケル使用となりました。そこからのリッジでは、ガイド登山らしく凄く遅いチームもいる。その横を、手で断りを入れながら先を急ぎました。

 

 マッターホルンで難しいのは、初登攀成功後のウインパー隊で事故が遭った垂壁の部分です(人の背丈の倍はある)。今は鎖が付けられていてあまり問題ないですが、1回の懸垂では岩の上に辿り着きません。2回は頑張らないと・・・。その上の雪の地帯は快適に登り、こうして遂にスイス側の山頂に辿り着きました。

(マッターホルンは双耳峰です。スイス側山頂は雪に覆われていて、岩は全く見られません)

 

 次に二番目の難所、イタリア側の山頂までのリッジを行きます。一人しか歩けないので、通常はザイルで確保しますが、H氏はピョンピョン跳ねるくらいの速さで、イタリア側山頂まで行ってしまいます。(彼は谷川なども何度も行って、経験豊富な登山家です)

 行きは佳いよい・・・、私も半分、ルンルンです。無事にイタリア側山頂に着きました。

 

 イタリア側山頂からは、北方向に、例の北壁が足下に見られます。また、南側、垂壁の下にはイタリア・アオスタの村が! まあ、何と、遂にここまで来てしまいました。

 ここは岩場ですが、山頂の岩は直径20cmくらいの硬いものばかりで、安定した(確保点が取れる)岩壁がありません。十字架があり、これが唯一の確保点といえるほどでした。

(実際は打ち込んであるわけではなく、確保には使えないと思います)

 

 マッターホルンの北壁は世界十指に入るような登山者しか登れませんが、そういう人たちの中にも、下山中に事故を起こした例がある・・・。山は下山の方が遥かに難しいのです。

 下山時も「各自の責任」で、リッジを降り始めたのですが、最初の一歩がどうしても取れません。股の下からは北壁下部が素通しで見え、小パニック・・・。ここでもH氏が、「そこに岩の棚があるでしょう・・・」とアドバイスをくれ、厚さ僅か5mmほどのホールド(岩の小さな棚上の部分)にアイゼンの爪を掛け、神に祈りながら下ってきました。

 

 ソルベイから下る頃には周囲のピナクルに雷が落ち、懸垂下降が終わってザイルを回収しようとしたら、「ザイルが上部の岩場に引っかかる」という事件もあった。そんな時にもH氏は笑顔で跳ぶように登って行き、ザイルを回収して来てくれました。(ザイルは雪で濡れて、かなりの重さです・・・)

 そのうちに日が暮れ、ビバークを覚悟したのですが、ヘッドランプ頼りに下降を続け、ヘルンリ小屋に戻ったのは夜の1時近くでした。

 小屋で安堵して眠りに付きながら、「幸運はあったけど、やはりもっと実力が必要だなあ、もっと早い時間帯に素早く行動できないと、自分たちも危なければ他のチームにも迷惑かける・・・」

 つくづくそう思いました。

 

 この登山は、私の実力以上の登山だったと思います。無事に行って来れたのは、ただただ、H氏のお陰です。深く感謝し、また、心よりご冥福をお祈りしたいと思っております。

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